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オーナーの両角(モロズミ)です。
私たちは長年の間、ラーメン業界と和食業界に携わってきました。その経験を活かし新たな挑戦として、ラーメン居酒屋を開業することになりました。
昼はラーメン、夜は居酒屋です。

共同運営者の森山は、長年ラーメン業界に携わって辿り着いた、あっさりだけれど旨みがしっかりの透き通ったスープのラーメンを作ります。
出汁、調味料、麺、粉、肉、野菜と全ての素材にこだわって選び、これまで培った知識と技術で組み合わせ、その美味しさを最大限に引き出しました。
また化学調味料は一切使用せず、良い食材から溢れ出す心温まる自然な味わいを是非お楽しみください。

また、夜の居酒屋は両角の出身地である南信州の食材を中心に扱う長野県推しのお店にしました。
日本には各所に美味しいものが存在しますが、長野県も食材の宝庫の一つです。
当店の特に一押しの食材は「ぎたろう軍鶏」です。
ぎたろう軍鶏を使用している都内の焼き鳥店はミシュランガイドに掲載されていて、その実力は証明済と言えるのではないでしょうか。
炭火で焼き上げたら最高、間違いないです。是非ご賞味ください。

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【ヒストリー】

さくら食堂。 誕生までの道のり

さくら食堂。 へようこそいらっしゃいました。
よろしければ、お店ができるまでの歴史をごらんください。

1. 経堂にあった伝説のラーメン店「ら〜めん桜食堂。」

かつて、世田谷区経堂に「ら〜めん桜食堂。」という伝説のラーメン屋があった。

鶏がらをベースに、数種の節モノで出汁を引いた透き通った清湯スープ。そこへ香り高い鶏油を浮かべた醤油ラーメンは、あっさりとしなが
らも旨みがしっかりと感じられる絶品だった。

たった一人でつくり出すそのラーメンは、瞬く間に多くの人たちの胃袋を鷲掴みにする。カウンター7席のこだわりのラーメン屋として、連日行列ができる人気店となったのだ。

しかし、繁盛店とはいえ、一人だけで店を切り盛りするのは至難の業。

「こだわりのラーメンをお客様に味わっていただきたい」
その一点だけで働き続けた体力自慢の男も、ついに体を壊してしまう。

人気店を一人で続けることに限界を感じた彼は、惜しまれつつもわずか3年でお店をたたんだ。

2. 飽くなきラーメン愛と、ある男との出会い

“一国の主”から降りても、男の“ラーメン愛”は変わることがなかった。

飽くなき探究心から大手ラーメン店に就職し、サラリーマンとしてラーメンに関わり続けたからだ。しかし、同じラーメンでも規模が大きくなればやり方も大きく変わる。

どの店舗で食べても同じ味になるよう、味のベースとなる部分は工場で大量につくり、化学調味料も多用。低コストの追求と、誰でも店舗運営ができるようなオペレーションを取り入れるなど、彼が追い求めていたラーメン道とはすべてが違っていた。

ちょうどその頃、男の目の前に一人の同僚が現れる。

言葉の端々に、自分と同じ“におい”を感じた。

思わずラーメンに対する想いをぶつけてみると、その同僚も同じことを考えていた。

二人の会話は盛り上がり、最終的に一つの結論に到達する。

「どうせつくるなら、化学調味料に頼らず、一からしっかりと出汁をひいて、そのスープに合う麵と具材を用意し、自分たちの納得するラーメンをお客様に味わっていただきたい」

3. 同じ方向を見据えた男2人が挑む、一杯のラーメン

意気投合した2人は、それからことあるごとに“理想のラーメン”について語り合うようになった。

「理想のラーメンとはどんなものか?」。

「つくりたいラーメンと、求められるラーメンは同じなのか、違うのか?」

「今、行列のできているお店はどういう味なのか?」

などなど

男2人の会話は毎回白熱し、あるときは、相手の言っていることが本当なのかどうか、話題になった店へ足を運び自分の舌で確かめ、あるときは、ひらめいたアイデアをもとに試作品をつくることもあった。

その度に、「もっとおいしい一杯がつくれるはず」と励まし合い、ラーメン研究は続いた。

そして、お互いどちらからともなく、言葉が口をついた。

「なぁ、2人で店を出さないか?」

震災、コロナ禍、海外での戦争など。世の中は大変な状況にあるけれど、自分たちにできるのは、一杯の美味しいラーメンに心を込めること、ただそれだけ。

1杯のラーメンにかける男の名前は森山裕司。

そして、その想いに応えるように現れた相方の名は両角圭悟。

2024年3月、『さくら食堂。』はオープンします。 さぁ皆さん、どうぞご賞味ください。